伊丹老松酒造株式会社

清酒発祥の地「伊丹」の地で、1688年(元禄元年)から清酒を造り続けています。江戸時代の当時、伊丹の蔵元のうち、大手二十四軒に名字帯刀が許され江戸幕府の官用酒となり、これを「御免酒」と称しました。大手二十四軒の蔵元は「御酒屋(おんさけや)」と呼ばれ、一般の酒屋とは区別され格式高いものでした。新酒が江戸積され幕府に献上されるまで、他の酒は一滴たりとも町中に販売できなかったそうです。その中で「老松」は最も格式が高く、宮中奉献酒として、また将軍の御膳酒として特に有名な銘柄でした。御免酒「老松」は、三百年以上の歴史を重ね、ご愛飲のみなさまにいつも美味しく召し上がっていただけるよう、淡麗やや辛口の飲み飽きしないお酒を造るため研究を重ねております。

LANDSCAPE
風土の特徴

伊丹酒の旨さの秘密はこの地下水にありました

伊丹の江戸後期の俳諧宗匠である 梶 曲阜(かじ きょくふ ・ 1798年~1874年)は、郷土の歴史にも造詣が深くその著「有岡古続語(ありおかこぞくご)」のなかで、伊丹酒について次のように記しています。「このさとに造り出せる酒、天下第一たる事はいふもさら也。(中略)初よりこの地の水を味ひ酒に醸て極品と成へしと」伊丹酒の仕込みには、地下水が使われていました。良質の水と酒造りの技が育んだ伊丹酒。伝統の味は現在まで続いています。この酒造り用の地下水は地下95mから汲みだした純天然水で水道よりやや硬度が高い水です。

STORY
歴史とこだわり

清酒発祥の地「伊丹」

米を原料にした日本の酒造りは、約2000年に亘る長い歴史の中で日本の風土と気候を巧みに利用して 様々な人の知恵と工夫の積み重ねによって「古法」よる「濁酒造り」から脱却して清酒を創出してきました。 清酒は文禄・慶長(1592年~1614年)の頃、 伊丹郊外鴻池村(現在の伊丹市鴻池)の山中新右衛門幸元(後に鴻池勝庵と改名、大阪の財閥鴻池の始祖)により 発明されたものと伝承されております。 その中でも、伊丹の酒が絶大な人気を博した理由は、木灰清澄法と木綿布濾過の組み合わせによる 優れた「濾過の技術」を実現したからです。 そして、「どぶろく」と言われる酒から、上流社会でしか飲むことのできなかった「澄み酒」を確立させ 現在の「お酒」の礎を築きました。 元禄年間(西暦1700年頃)、伊丹より船積され江戸へ送られる酒樽は12万余石にも達し 日本一の生産量を誇りました。

御免酒「老松」の由来

元禄十年(1697年)伊丹の酒屋のうち大手24軒に帯刀が許され江戸幕府の「官用酒」となり、これを「御免酒」と称しました。 名字帯刀の酒屋は「御酒屋」(おんさけや)と呼び、 一般の酒屋とは区別され格式の高いものでした。 その例として新酒が江戸積され「御免酒(ゴメンシュ)」 の幕府納入が終わるまでは他の酒は一滴たりとも町中に販売ができなかったということです。 「老松」はその御免酒の中でも最も格式が高く、 宮中奉納酒として、又将軍の御膳酒として特に有名でした。 現在、清酒『老松』のレッテルに「御免酒」と朱刷で書いてありますが、以上の由来によるものです。

酒名「老松」のいわれ

千載の齢(長い年月)を経ても緑を保つ松の老木にあやかって「老松」と命名されたと伝える。