有限会社平瀬酒造店
蔵元・平瀬酒造は、天神山(藩主金森氏六代107年間の居住跡・現在の城山)のふもと、城下町の一画、海老坂にあります。創業年代は定かではありませんが、菩提寺の過去帳には元和9年(1623)より記録され、約400年、15代続き今日に至っております。
蔵元・平瀬酒造は、天神山(藩主金森氏六代107年間の居住跡・現在の城山)のふもと、城下町の一画、海老坂にあります。創業年代は定かではありませんが、菩提寺の過去帳には元和9年(1623)より記録され、約400年、15代続き今日に至っております。
飛騨高山は雄大な自然に囲まれ、標高は570m、昼夜、夏冬の気温差が大きく湿度は低いところです。久寿玉が主に使っているお米は、山間高冷地帯での栽培に適した品種「ひだほまれ」です。バランスよく、飛騨の料理によく合う味わいの酒造りのため、生産農家の方と意見交流をしながら、常に「ひだほまれ」を進化させています。
久寿玉が使用する水は、高山の中心部を流れる宮川の水を使用しています。この水は「位山」と「川上岳」の伏流水で高度が10mg/Lという非常に柔らかい軟水で、純度の高い水です。軟水で仕込む久寿玉は、きめ細やかでやわらかなふくらみのある味わいになります。
蔵元・平瀬酒造は創業年代は定かではありませんが、菩提寺の過去帳には元和9年(1623)より記録され、約400年、15代続き今日に至っています。『他の商売には如何なることがあっても振り向かない。酒造り業一筋に生きる。』を家訓とし、今も固く守り継がれており、当主は代々平瀬市兵衛を襲名しています。
大正4年(1915)頃、灘では清酒という新しい酒ができて大変好評との話しを聞き、辰馬酒造に見学し、丹波より杜氏を招聘して飛騨で初めて清酒を造りました。その清酒を『灘流正宗』と銘々し発売しましたところ、非常に好評で、次第に製造量を増やし現在の基礎を造りました。
久寿玉の語源は、広辞苑にいう「薬玉」(くすだま)であり、百薬の長「久寿玉」(くすだま)に置き換えました。久寿玉は吟醸酒・純米酒・本醸造酒などの品質にこだわった酒造りを続けています。